第1章 水使いの不在・7


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「ルナ、何してるんだ?」

 非常に困惑している様子の師匠の声に、カルナリスは虚ろな瞳を向けた。
 なんだか室内が薄暗い。キーアの後ろの窓から見える空は、夕暮れ時を過ぎていることを伝えていた。
 ああ、夕飯の準備していないな、とあまり働かない頭で思い出す。師匠のご飯、どうしよう。

「何って、魔法書を読んでいます」
 取り敢えず、質問に答える。
 カルナリスは、今、魔法書の1巻を読み直していた。小難しい言葉で書かれた分厚い魔法書は、読み進めるのが苦痛ではあるが、不思議なことに2巻よりは眠くならずに読んでいられる。
 ただ、果てしなく精神を消耗した。疲れて、ご飯を食べる気がおきない。でも、師匠のご飯はつくらなければならない。

「それ、全部読むの?」
 カルナリスの目の前にあるのは、魔法書第1巻。魔法の基礎編。その横にあるのが2巻の実技編。さらに、師匠の書斎と化しているリビングのテーブルの山から引っ張り出した魔法書付本の1〜10巻までが積み上げられている。
 付本なんて、カルナリスは初めて見た。研究バカの師匠の本の山の中にあるだろうという読みは当たったが、10巻もあったのにはドン引いた。魔法書1,2巻よりは薄いものの、各巻200〜300ページはあるのだ。

「とりあえず、1巻と2巻は読みます。付本は、――5巻だけで理解できますか?」
 うんざりした声を隠そうともせず、カルナリスはキーアに尋ねる。
 できれば読みたくない。でも、せっかく5巻を読んでも、意味不明でレポートがかけなければ意味はない。
「付本どうしは繋がっているわけではないからね。まあ、基本の魔法書をきちんと読んでいれば理解はできると思うけれど。
 5巻って、魔力の組み合わせ方法とか、属性魔法の組み合わせとか、その作用とか、かなり突っ込んだ内容だけど……」
 暗に、カルナリスに理解できるのかと問うている師匠に、彼女はげっそりとした様子で首を振る。
「でも、読まないと、レポートが……」
「レポート? どの授業で? ていうか、ルナに残ってる授業でそんなこと扱っているのないよね?」
 カルナリスが理の塔卒業のためにとっている必須授業は、カルナリスが最も苦手とする魔法史と魔法陣創作、魔法呪文の3つだ。

「クロイ先輩に出されました」
 ついでに、名前も知らない少年に、と声に出さずにカルナリスは思いだす。
 出来上がったら、ぜひ見せてくださいね、と全く無邪気に言っていた少年と、拒否できなかった自分自身を。

 悪意のない人間って、本当に恐ろしい。

 カルナリスの中で、何時の間にか、彼の少年のアドバイスのとおり、魔法書1,2巻と付本5巻を読んでレポートを作成することに決まっていた。
 そんなに読むの無理、とか思っていたが、結局、1巻から読み直している。

「クロイ? ディオスのところの弟子がなんでまた?」
 訝るキーアに、カルナリスは仕方なく先日の出来事を説明する。ついでに、今日の名前も知らない少年との会話まで、本当に洗いざらいぶちまけていた。

 誰かに泣き付きたい気分だったのだ。







「まあそれは、確かに、カルナリスは魔法書の1巻から勉強し直した方が間違いないな」
 珍しく難しい顔で、キーアは苦々しげにそう言うと、重い息を吐く。
「でも、付本は……。確かに必要だけれど、カルナリスには難しいだろう」

 うん、やっぱりそう思うよね、とカルナリスもため息をつく。
 先ほどは濁そうとした言葉を、今度はキーアははっきりと口にした。うかつな弟子の話を聞いて、これはまずいとでも思ったのかもしれない。カルナリスにはいまだに実感がわかないが、きっとそれこそが危険ということだろう。
 昨夜魔法書の2巻を読みだしたときは、なんだか聞いたことはあるものの、うろ覚えでよくわからない単語が出てきて、ひどく眠くなったものだ。けれどもこうして、1巻から読み返すと、昨日わからなかった単語の説明も出てきて、比較的楽に読み進められる。やはり順番って大事だ。少年の指摘は正しい。
 比較的楽、というのは、魔法書がそれはそれは古い文体で書かれているせいで、読みにくいからでもあった。せめて現代文に訳されていれば、もう少し楽に読めただろう。授業についていけなかった理由の半分は、この小難しい文体にあると言ってよい。
 困ったことに、ちらりと見た付本の中身はさらに古い文体で、カルナリスにとっては、すでに読解不可能な古文だった。内容よりもまず、言葉を理解できるかも自信がない。

「ついでに、塔長が持っているらしい3代目の塔長が書いた本も読んだ方がいいと言われたんですけど」
 少年は、古い本と言っていた。カルナリスには、付本ですら古めかしすぎて訳が分からないと言うのに、彼はそれを古いとは言っていなかった。その彼が言う「古い」とは、いったいどれだけ昔を言うのか。
 想像するに恐ろしい。
「3代目の本? それって、え? なんでそんなもの」 
 キーアが驚いたようにそう言って、まじまじとカルナリスを見つめる。
 なんだか、ひどく慌てている。

「カルナリス、ちょっとその少年の話、もう少し詳しくしてごらん」
 キーアの、いやに真剣な声と、そして、ひどく真面目な顔に――とはいえ、長い前髪で正確なところはわからないのだが、カルナリスはただただ目を丸くして頷いていた。

 夕飯、作れるかなあ、と頭の隅でぼんやり考えながら。







「まだ見つからんのか?」
 憔悴した王の言葉に、宰相は力なく首を振る。
「申し訳ございません」
 原因不明の病で倒れた王子の容体は、未だ安定せず、予断を許さない。国のトップの医療技術を誇る宮廷医たちも、理の塔から引き抜いた優秀な宮廷魔法使いたちも、皆が皆、様々に手を尽くしているが、回復の目途は立っていない。
 王妃もまた、心労の余り臥せっている。

「何とかならんのか」
 思わず漏れた王の呟きに、返せる言葉を持つ者はいない。
 誰もが、世継ぎの王子の回復を願いつつも、どうにも出来ぬ現状に思い悩んでいた。
 残された唯一の頼みが、所在のはっきりしない王宮の筆頭魔法使いの存在だった。筆頭魔法使いは、治癒魔法を得意としているのだ。
 けれども、その筆頭魔法使いも、騎士たち総出で探させているものの、未だに所在がつかめていない。もともと、放浪癖があり、王宮に留まることもほとんどなかったし、王宮の者達も、今までそれを許容してきていた。
 筆頭魔法使いとはいえ、ほとんど名誉職であり、彼の者に頼ることはほとんどなかったからだ。
 だが、いざ頼ろうとして初めて、所在を把握すらしていないことに気付いたのだ。連絡手段すら断たれていて、捕まえることもできない。

「今、国中の騎士たちに探させています、もう少しお待ちください」
 そう答えながらも、その言葉の不確かさに、宰相自身も表情を歪めずにはいられなかった。
 何とか王子を救えぬものか。
 せめて、彼の筆頭魔法使いと連絡が取れれば、かわいがっている王子の危機に、魔法使いは何らかの手立てを考えてくれるだろうに。

 宰相ですら、そんなふうに、筆頭魔法使いに対して深い信頼を寄せていた。



 王宮の筆頭魔法使い。彼の者の名を、デイジー・マーシルという。






  

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