キミヲオモウチカラ  
    

第4章  第4話  王を継ぐ者U



Back / Top / Next


 手を伸ばせば、すぐ届く場所に誰かがいる。言葉を交わして、笑いあえる。触れあうこともできる。 
 案じてくれる人がいる。守ってくれる人がいる。 

 一人じゃないと知っているのに、それでも、突然、取り残されたように感じることがある。
 周りに人がいる。でも、そこに自分の居場所がない。見つけられない。
 気づけば、一人、一人と、遠くへ去っていき、私だけが取り残される。
 ――周りに、誰もいなくなる。
 今まで立っていた場所が、急になくなったような喪失感と不安感。自分の立っている場所が分からない。右も左も、上か下かさえもが分からない。

 暗闇の中、私はひとりで佇んでいる。





 顔に当たる微かな熱に、意識が覚醒していく。
 何度も目を瞬かせるが、視界はぼんやりとしたままで、はっきりしない。ひどく、頭が痛んだ。
「アユム?」
 そっと窺うように声をかけられて、歩はゆっくりと声の方に視線を向けたが、相変わらず視界は判然としない。うっすら膜が張られているようだった。ゆっくりと右手を目に当てて、目を擦ろうとして声の主に止められる。
「擦らないで。腫れているから」
 冷たく濡れた布で、視界が完全に閉じられる。ひんやりとした感触に、ようやく頭が働きだして、昨夜の記憶が思い出された。
 泣き疲れて、寝てしまったのか。
 きっと、ライアンがここまで運んでくれたのだろう。迷惑をかけたな、とぼんやり思う。

「もう、一人で泣かないで、って言ったのに」
 苦笑交じりの声に、布をずらしてニノンの顔を見つめる。何度か瞬きして、わずかに視界が広がった。今にも泣きだしそうなニノンの顔が見える。
「ひどい顔」
 ニノンがそう言って笑う。泣き笑いのような、不自然な顔だった。
「しばらく冷やしていた方がいいわ。待っていて。朝食の準備をしてくるから」

「ニノン」
 慌ただしく部屋を出ようとしていたニノンが、ゆっくり立ち止まる。でも、こちらを振り向いてはくれない。
「ニノン、ごめん」
「何のこと、謝っているの」
 ニノンは振り向かないで、微かに震える声で、確認するように問いかける。
「怖い思いをさせて、ごめん」
「ばかっ」
 ニノンは勢いよく振り返って、大きな声で怒鳴った。彼女は、泣いていた。泣かせてしまったとわかって、それでも歩はもう一度謝罪の言葉を口にする。
「バカ、バカ、そんなこと、謝らないでっ」
「うん、でも、ごめん、私も、怖かったから」
 はっとしたように、ニノンは歩の顔を見つめた。

「目の前で、人が殺されて、怖かった。剣を振り上げられて、怖かった。ニノンに何かあったら、って怖かった。
 ――だって、また、一人になっちゃう」
「アユム……」
「ごめん、私、ニノンが傷つくのが怖かったんじゃないの。私が、一人になるのが怖かったの」
 ニノンの顔をまともに見られなくなって、顔を俯かせる。

「アユム……、バカねえ」
 呆れたような声が、すぐ近くでする。いつの間にか近づいていたニノンが、俯いた歩の頭を優しく撫でた。
「私も怖かったわよ。兄さんを信じていて、イリヤ様を信じていても、貴女がいなくなったって聞いて、目の前が真っ暗になった」
 それに、とニノンは歩の頭を撫でながら、ゆっくり続ける。
「いつも怖いわ。いつだって、不安なの。
 ――兄さんがいつか大怪我して、私一人になっちゃうんじゃないかって」
 はっと顔を上げる歩から手を放し、ニノンは困ったように笑いかける。
「兄さんは騎士で、いつだって大怪我する可能性があって。それにね、兄さんはイリヤ様の友人で、イリヤ様を守って命を落とす覚悟だってあるのを、知っているから」
「ニノン」
 両親を亡くしているニノンにとって、家族は兄一人しかいない。兄を失う恐怖は、いつだって、二人で過ごす幸せと背中合わせに存在する。
「兄さんがいなくなってしまうんじゃないかって、怖いわ。もちろん、私が一人になっちゃう怖さもある。心細いっていうのもある。でも、それだけじゃない。アユムも、そうでしょう?
 それって、謝るようなことじゃない。だって、心配なのは心配なんだもの。相手を思ってるのも、嘘じゃないんだもの」
 ニノンの手が、シーツを掴んでいたアユムの手に添えられる。
「……うん」
「今、一人じゃないから、怖いのよ。大事なものがあるから、怖いの。でもアユム、忘れないで。たとえいつか別れが来るものだとしても、いつか手放さなきゃならなくなったとしても、私は、貴女と友人になれたことを後悔しない。優しくて、意地っ張りで、弱音をなかなかはいてくれなくて、一生懸命で真っ直ぐな貴女と友人になれて、嬉しい。
 いつか失う未来を恐れるんじゃなく、今、一緒にいられる幸運に感謝して、みんなと、幸せな今を積み重ねていかない?」
 シーツを固く握りしめていたアユムの手が、ゆっくりとほぐれ、シーツには深いしわが残された。

「私、私も、ニノンと友人になれて、嬉しいの。そばにいてくれて、どんなに心強いか」
 昨日まで、あんなことが起こるまで、いや、起こってさえ、彼女は本当には理解していなかった。きっと、きちんと現実に目を向けていなかった。何処か、まだ夢の中にいるような気分でいたのだ。

 だってここは、別の世界だったから。彼女が18年間過ごしていた世界ではなかったから。

 だからきっと、どこかで、現実として受け止めていなかった。
 ここは現実で、同じように生活が続いていることを失念していた。同じように、人が生まれ、生きて、そして、死んでしまうということが、わかっていなかった。まるで天災のように、死とは突然、避けられない凶事として襲ってくることもあるのだということを忘れていた。
 もう一度、大切に思う誰かを失う可能性から、目を背けていたのだ。

 ニノンの言うとおりだと思う。今を大事にすればいい。それしかできないのだと、わかっている。今、手を取ってくれるニノンがいて、心強いのも本当だ。
 それでも、きっと、自分は強欲なのだろうと思う。

「ごめんね、ニノン。きっと私は、これからも貴女を心配させるんだわ。貴女を危険な目にも合わせると思う。それでも、もう私は、私から貴女の手を放すことはできない」 
「それも、謝ることじゃないでしょう、アユム。
 私が、貴女と一緒にいたいと思うから、ここにいるのよ?」
「――ありがとう、ニノン」
 ようやく、何とか笑顔を返す。

 今朝見た、夢の残滓が頭をかすめる。

 暗闇の中、ひとり取り残された自分。
 そして。
 目を閉じれば、思い浮かぶのは、自分と同じように、一人で佇む少年の姿。

 周りを拒否して、それでいて、取り残されたような不安を、その瞳の奥底に宿したレイグ。
 自分は、彼に何を求めているのだろう。
 失った、海斗の代わりだろうか。レイグが言うように、彼の中に、海斗の面影を探したいのだろうか。
 では、レイグはどうなのだろう。なぜ、アユムに声をかけたのか。近づいてきたのか。近づいた結果、やはり他の人たちと同じように、アユムを遠ざけることにしたのか。それとも、積極的に排除すべきと思ったのか。
 わからない。それでも。
 今は行方が分からなくなった指輪を探るかのように、胸元できゅっと空を掴む。
 どちらにしても、今度こそきちんと、レイグと向き合わなければならない。

 多分それは、これから、前に進んでいくために必要なことだから。






  

Back / Top / Next